大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和45年(オ)1006号 判決

上告人 増山隆(仮名)

被上告人 増山利子(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人中平博文の上告理由(上告理由書に添付された上告人作成名義の陳述書と題する書面の記載事項を含む。)について。

夫婦関係が破綻に瀕している場合において、別居中の夫婦の一方から他方に対し、人身保護法に基づきその共同親権に服する子の引渡の請求がなされたときは、子を拘束する夫婦の一方が法律上監護権を有することのみを理由としてその請求を排斥すべきものではなく、子に対する現在の拘束状態が実質的に不当であるか否かをも考慮してその請求の当否を決すべきものであり、右拘束状態の当、不当を決するについては、その拘束がいかなる手段・方法により開始されたかということよりも、夫婦のいずれに監護せしめるのが子の幸福に適するかを主眼として定めるべきものであることは、すでに当裁判所の判例とするところである(昭和二三年(オ)第一三〇号同二四年一月一八日第二小法廷判決・民集三巻一号一〇頁、同三二年(オ)第二二七号同三三年五月二八日大法廷判決・民集一二巻八号一二二四頁、同四二年(オ)第一四五五号同四三年七月四日第一小法廷判決・民集二二巻七号一四四一頁参照)。そして、原審も右と同趣旨の見解に立ち、少なくとも離婚訴訟で親権者が決定されるまでの間は被拘束者両名を母親である被上告人のもとで監護教育させる方が本人らの福祉と幸福のためであることは明らかであるとの判断に基づいて、被上告人の上告人に対する本件請求を認容したものであることは、原判文上明らかであつて、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、右判断は正当ということができる。

右のように、原審は上告人が被拘束者らを連れ戻した行為の不当のみをとらえてその拘束を違法と断じているのではないから、上告代理人上告理由(一)は、原判旨を正解しない議論というほかはない。また、やがては離婚訴訟で親権者が決定されるべきものであることは、原審も前提とするところであるが、右決定が早急になされることを期待しうる特段の事情の認められない本件においては、それまでの間の措置として、現に不当な拘束のもとにある被拘束者らの救済の目的を迅速かつ適切に達するために、人身保護法による救済を得る必要の存したことは明らかであるから、人身保護規則四条但書の違反をいう同上告理由(二)も、理由がない。さらに、本件被拘束者らの年齢の程度では、自己の境遇を認識し、かつ将来を予測して適切な判断をするにつき、いまだ十分な能力を有するものとはいえないから、同上告理由(三)の指摘するように、同人らを被上告人に引き渡すことが被拘束者ら、とくに明の転校したくないという当面の希望にそわないことになるとしても、人身保護規則五条に違反するものでないことはもとより、原審認定の諸事情を総合するときは、被拘束者らに対する拘束の当、不当に関する原審の判断を違法とすべき理由になるものともなしえない。そして、その余の所論は、原審の適法にした証拠の取捨判断および事実の認定を非難するものか、その認定しない事実関係と独自の見解に立つて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 飯村義美 裁判官 田中二郎 下村三郎 松本正雄 関根小郷)

参考 原審(昭四五・九・二五判決)

請求者 増山利子(仮名)

拘束者 増山隆(仮名)

被拘束者 増山明(仮名) 昭三六・五・二一生

主文

被拘束者両名を釈放し、請求者に引き渡す。

本件手続費用は拘束者の負担とする。

事実

第一、双方の申立

(請求者)

被拘束者等を釈放する。

本件手続費用は拘束者の負担とする。

(拘束者)

請求者の請求を棄却し、被拘束者両名を拘束者に引き渡す。

第二、双方の主張

(請求の理由)

別紙添付の人身保護の請求書及びこれに添付の訴状記載の通りであるからここにこれを引用する。

(拘束者の答弁)

請求者と拘束者が夫婦であること、被拘束者明および豊がその子であること、現在請求者が拘束者に対して離婚訴訟を提起していること、昭和四五年八月一七日請求者が被拘束者両名を連れ拘束者を欺いて家出し、大阪の兄の許へ身を寄せたこと、同年九月七日上阪した拘束者が請求者肩書住居から被拘束者両名を拘束者肩書住居に連れ帰り現在まで監護していること、は認めるが、その余は争う。

拘束者は従来とも美容院を経営して来たし、請求者の家出後も同様である。請求者は拘束者を欺き金銭及び物品を何ヶ月も前から計画的に持ち出し、拘束者の母親がけがをして入院し家庭が一番困窮しているときに無心な子供まで行先も告げずに連れ去つたのである。このようにして請求者は一方的に家庭を破壊し放棄した。また、請求者は子供の教育および学校のおくれを心配しているというが、被拘束者明を手で叩くならまだしも竹や棒で叩くような人間であり、今回の事件でも拘束者が同年九月一一日に高岡第一小学校に転校のことで校長に頼んで帰つた直後同校長に電話して「子供を同校に入学させないでくれ」と依頼しているのであつて、請求者が本当に被拘束者の幸福を考えているとはいえない。拘束者は、実の父親としてこのような利己的な人情味のない請求者に被拘束者等の監護教育をまかせることはできないと判断して、被拘束者等を連れ帰つたのである。

第三、疎明

(請求者)

甲第一ないし第五号証。

証人大島ひろ、同安田道子の供述。

請求者本人尋問の結果。

乙第一号証の成立認。

(拘束者)

乙第一号証。

証人増山まつ、同本間良子の供述。

拘束者本人尋問の結果。

甲第三号証の成立不知、その余の甲号各証の成立認。

理由

一、請求者と拘束者が夫婦であること、現在離婚訴訟中であること、被拘束者両名はその子であること、昭和四五年八月一七日請求者が拘束者をだまして被拘束者両名を連れて家出し大阪の兄の許に身を寄せたこと、同年九月七日上阪した拘束者が請求者肩書住居から被拘束者両名を高知の拘束者肩書住居に連れ帰り、現在まで監護していること、は当事者間に争いがない。

二、右のような幼児に対する監護が人身保護法および同規則にいわゆる拘束と解するに妨げないこと、夫婦関係が破綻に瀕しているとき夫婦の一方が他方に対し人身保護法にもとづきその共同親権に服する幼児の引渡を請求することができる場合のあること、および右の場合裁判所は子を拘束する夫婦の一方が法律上監護権を有することのみを理由としてその請求を排斥すべきものでなく子に対する現在の拘束状態が実質的に不当であるか否かをも考慮してその請求の拒否を決すべきものであり、その拘束状態の当不当を決するについては夫婦のいずれに監護させるのが子の幸福に適するかを主眼として定めるのを相当とすること、は確立した判例である。

三、成立に争いのない甲第一、第二、第四、第五号証、乙第一号証、請求者本人尋問の結果により成立の認められる甲第三号証、証人大島ひろ、同安田道子、同増山まつ、同本間良子の供述、請求者並びに拘束者各本人尋問の結果と審問の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一) 請求者と拘束者は昭和三五年一二月一〇日婚姻し、昭和三六年五月二一日被拘束者明(九歳)が、昭和三九年九月一八日被拘束者豊(六歳)が出生したこと。

(二) 結婚当初は、請求者は土佐市○○で美容師として収入を得、拘束者は友人と共同で同市同町で○○店を経営していたが、結婚後約一年後拘束者は組関係者などとの悪友との交際が多く遂に婦女暴行被疑事件を起して警察問題になつたことなどから、請求者は当時生後間もない被拘束者明を連れて実家に帰り、昭和三六年七月二八日協議離婚し、被拘束者明の親権者は請求者と定めたこと。

(三) その後仲に立つ人があり、拘束者も更生してまじめに働くことを誓つたので、協議離婚後八ヶ月して復縁し、昭和三八年六月二七日再度婚姻の届出をしたこと。

(四) 復縁後拘束者は一、二ヶ所就職はしたが数ヶ月でやめてしまい、以後は定職につかず、従来からの組関係者とのつき合いを継続し美容師としての請求者に寄生し、小遣銭をせびつては競輪、競馬、賭博等にふけり無為徒食の生活を送つてきたこと。

(五) 請求者は、拘束者の父から資金を出して貰い拘束者肩書住居で美容院を経営(名義は拘束者)して家計を維持して来たが、拘束者に対して定職につくよういくら頼んでも「働く意思はない」という始末で、遂には外泊はする、請求者に暴力は振るう、自宅で賭博はする、入れ墨をした男達がひんぱんに出入りする、という有様になつたので、被拘束者等を連れて離婚するほかないと決意するに至つたこと。

(六) 拘束者はかねて請求者が別れ話など持ち出すと「出て行つたらただではおかん、ぶち殺す」といつており、請求者としては到底まともな話し合いはできないと考え、門真市在住の兄下村敬一に相談してひそかに家出することとし、数ヶ月前から衣類を持ち出すなどして準備をととのえていたこと。

(七) そこで、請求者は、昭和四五年八月一七日被拘束者両名を連れて海水浴に行くといつて拘束者を欺しその日も高知の競輪場に行くという同人に四、〇〇〇円の小遣いを渡し、同人の運転する乗用車で高知まで送つて貰い、高知家庭裁判所に離婚調停の申立をしておいて、そのまま大阪に行き兄の許に身を寄せたこと。

(八) 請求者は、かねて兄が同人宅から約五〇〇メートル離れた肩書地に新築しておいてくれた現住居に入居し、美容院を開業するための準備をし、被拘束者明を門真市の小学校三年に転校させ、被拘束者豊も同市の幼稚園に入れるように手配したこと。

(九) 同年九月二日離婚の調停は不調に終つたこと。

(一〇) 同年九月七日拘束者が突然上阪し、まず小学校に行き明を探し出して学校を早退させ、次いで請求者宅に赴き(請求者は美容院開業に関する申請書を保健所に届出に行つて留守であり内弟子と被拘束者豊しかいなかつた)、泣き叫んで逃げ廻る豊をとらえ、被拘束者両名を高知へ連れ帰つたこと。

(一一) 請求者は同年九月一〇日離婚訴訟を提起したこと。

(一二) 二児を連れ帰つた拘束者は、被拘束者明を土佐市○○の元の小学校で勉強させ(まだ正式の転校手続はしていない)、両児の世話をしていること。

(一三) その他、拘束者の妹で請求者家出後美容院を経営(名義は拘束者)している増山まつ(二三歳)と内弟子も拘束者を手伝つて食事など被拘束者等の面倒をみていること。

(一四) 拘束者の父健治は高知県○○郡○○○小学校で教師をしているため別居しており、母さわ(五五歳)も昭和四五年六月以来腰の関節を痛めて入院中であり、近く退院予定ではあるが、退院しても被拘束者両名の世話をすることは困難であると考えられること。

(一五) 拘束者は、今のところ定職につかず美容師の妹から生活費をみて貰つている(現在の条件の下ではこのことは必らずしも非難できない)とはいえ、従来も時に自動車運転をしたり友人の事業を手伝つたりして小遣銭を稼いだことはあるようであり、少なくとも現在は心を入れ替えてまじめに働こうと考えていることは一応認めてよいのであるが、従来の生活態度、生活歴からみてこのような態度、決心がいつまで続くか甚だ心許ないというほかないし、拘束者本人が頸骨ヘルニヤのため働くことができなかつたといつているところからしてその労働能力にも疑問がもたれること。

(一六) 拘束者が被拘束者等を請求者によつてつくり出された保護環境から奮取して連れ帰つた動機は、被拘束者等に対する愛情からというよりは、拘束者が請求者との婚姻の継続に未練をもつていることなどからして、むしろ、主として離婚問題を有利に導くためか、あるいは、請求者に対する報復ないしいやがらせのためと考えられること。

(一七) 請求者は、美容師として十分な経済的能力をもち、去る九月一〇日開店し、使用人二人(うち一人は住込み)を使つて順調に営業しており、今後相当な収入が見込まれ、店舗ど住居を兼ねているので請求者と住込みの内弟子とで-それに兄一家も近所に住んでいる-被拘束者等を監護教育するに支障はないこと。

(一八) 請求者は、かなり感情的で自己主張のはげしい性格の持主であるように見受けられ、被拘束者等を玩具の本の棒などで叩くといつたこともあつたようであるが、両児を養育する母親として不適格というようなことは全くなく、従来の被拘束者等に対する監護教育はもつぱら請求者が担当して来たところであり、請求者が被拘束者等を連れて家出し女手一つで養育しようとしたのは、ひとえに同児等を前記のような悪い環境から引き離し良い環境で自ら監護教育したいという子等の福祉と幸福を願う母の愛情故であると見られること。

(一九) 被拘束者等は従来の生育歴からして高知の方に地縁的牽引力が強いと思われるが、大阪の方には従兄弟もおり新しい環境に十分適応できると考えられること。

四、以上の事実関係からすると、現時点において、少なくとも離婚訴訟で親権者が決定されるまでの間は、被拘束者両名を父親である拘束者の許で監護教育させるよりは、母親である請求者の膝下で監護教育させる方が本人等の福祉と幸福のためであることは明らかであるというべきであり、拘束者の拘束は不当であると解される。

五、そうだとすれば、拘束者の被拘束者両名に対する拘束が権限なしになされていることが顕著である(人身保護規則四条)というべきであるから、請求者の本件請求は理由があるものとしてこれを認容し、人身保護規則三七条、人身保護法一七条、民訴法八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 下村幸雄)

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